2011.08.09 (Tue)
今日は父の命日です。
父が亡くなってから10年経ちました。
昨晩は何だか当時の事を
色々思い出しちゃって
というか、頭の中で
「父の思い出」の引出しを
ぶちまけちゃった感じになって
久々に泣いてしまった・・・
でも悲しくて涙が出るんじゃ
ないんですよね
心が温まってというか、何というか・・
10年前
父が亡くなって葬儀告別式も終え
色んな手続きを済ませるために
父が入院した病院に書類を取りに
いった時のこと
私たちったら
父の靴を病室に忘れてしまって^^;
受付で渡される始末・・。
そしたら当時お世話になった
師長さんがいらっしゃって
立ち話をしたんですが
その師長さんが夜勤の時
深夜に喫煙室でタバコを吸う父と
よく話し込んだらしく
「お父さんね
娘さんの事、うんと心配していたよ。
お子さんが小さい内に離婚して
この先心配だって言ってたよ」
と私に話してくれました。
私は何て親不孝なんだろうか。
末期がんでもう食事も摂れず
日々痩せていく父に最後の最後まで
心配を掛けさせてしまった。
私が離婚かしないで
夫婦仲良く生活していれば
父だって少しは安心して天国に
行けたかもしれない
そう想って当時は自分を責めたり
しました。
普段はむっつりとして
見た目が非常におっかない父でしたが
晩年は
孫が可愛くて仕方ない「甘々じいじ」に
大変身して
よく娘をコンビニに連れて行き
「ママは1個しか買ってくれないけど
じーたんは10個買ってあげるよ~」
とか言って
お菓子で孫を釣っていたっけな~^^;
そんな娘ももうすぐ14歳。
もうすぐお盆だから
沢山のお花とお酒と
好物だった「カップヌードルシーフード」を
買っておくからね~
おと~さん。
2011.06.06 (Mon)
やっと開眼法要が終りました。
と記事をかかせていただきましたが
その開眼法要を昨日の日曜日にしました。
ようやく出来た~って感じです。
本当は改葬したら、あまり日にちを空けず
法要をした方がいいんですが
叔母が亡くなったり
東日本大震災が起こったり
親戚の日程に合わせたりで
こんなに遅くになってしまいましたが
とりあえず終ったんで母もホッとしたようです。
昨日は蒸し暑かったんで
七部袖で夏用のパンツスーツの喪服を
久々に着たんですが
こちらにも太った影響が出た模様で
パンツがきつくなってて
正座の長丁場に縫い目が耐えられるかしら・・?と
危惧しましたが、大丈夫でした。
このパンツスーツもクリーニングに出しておいたので
きっと縮んだに違いない(現実逃避)
ところでお寺の住職さんのこと
皆さん何て呼ばれますか?
うちの父方の親戚の人達って皆
「おっしゃん」って呼ぶんですよ。
おそらく「和尚さん」→「おっしゃん」に変化したんだと
思いますが
あんまり親しくないのに「おっしゃん」って
ちょっと抵抗がありませんか?
「ほっしゃん。」(【Yahoo!人物名鑑】より)って聞こえちゃったら
ど~するんですかね~(`3´)
何はともあれ
法事の時しかお会いしない親戚ですが
一同集まって飲むお酒は美味しいもので
義兄さんにちょっかい出しまくり・・・
少々お酒が過ぎたのか、今日は頭痛いです・・・
2011.02.20 (Sun)
父のお墓がにぎやかになりました
桜の木の近くのお墓で、一人でした。
亡父には、4人の歳の離れたお姉さんがおり
父が一番末の弟でした。
長男なのに、何故F市にある実家のお墓に入らないか・・・
というと
昔、姉弟の間にいざこざがあったらしく
「実家や墓から手を引いてくれ」みたいなことになり
(私は子供だったのでそこらへんは良く分かりません)
うちの母は、我が家から比較的近くのお寺に
お墓を買ったのです。
だからうちは父のお墓だけを
守れば良いのですが
ここでは割愛しますが^^;
複雑な事情でF市のお墓を守る人が
居なくなってしまうので
F市に埋葬されている
父の両親と、父の一番上の姉とその息子さん
と小さい時に亡くなった父の妹(おそらく)の
5名の遺骨を
亡父のお墓に改葬する運びになりました。
私も母も改葬するに当たり「改葬手続き」が
必要なのを知らなくて
2日前にネットで何気なく調べたら
市役所などで手続きが必要なのを知り
あわただしかったんですがA^^;
なんとか無事に終わりました。
父が亡くなって今年の8月で
10年になります。
早いな~というのが正直な所です。
父が亡くなる前日の夕方
当時3歳の娘を連れ、
病院へ父に会いにいったんです。
土気色で痩せた父は、それでも
一人でトイレに行ったり
出来ていました。
私たちが帰る時
お財布から2000円を出し
「夕飯何か買って帰れ」と。
「え~っ、お金はいらないよ」と遠慮したんですが
「お金は必要ないから」と
娘に手渡ししてくれました。
病室から出るときは
「ありがとな~」と
それが最後の会話でした。
その明け方5時に亡くなりました。
あれから10年
にぎやかになった父のお墓では
お酒大好きな人たちばかりですので
夜な夜な宴会でも開催していることでしょう^^
お彼岸にはお酒をたくさん
お供えするからね~
2010.12.28 (Tue)
義兄さん、ありがと・・
義兄さんからいただきました。↓

なんと某懸賞で当ったのですが
(ブルーレイ目当てで応募)
こちらが当ったそうです(オドロキ)
私はくじ運が全くないので
何か当ること自体が素晴らしいです。
しかし、姉の家は
デジカメは数ヶ月前に新品を購入したばかり。
2台あっても仕方がないし
「miyuちゃんちにあげるよ」とのことで
遠慮な~くいただきました。
いままで我家はこれを使っていました。↓

長い間愛用していましたが重いし大きいし
「今どき8mmテープ?」って感じ・・
でも
これは亡父の映像を残す為に買ったんです。
もう10年前になりますが
父が末期のS状結腸癌で余命1年といわれて
思い出を、映像を
残したくて買ったもので
その後もず~とこれを使っていました。
確かに重いし大きいし、テープだし
最新のデジカメは軽量で小さくて便利だけど
何だか買い替えることが出来ませんでした。
癌発覚後、父が4月に手術を終え、
その夏
家族で新潟の海に行ったんです。
このハンディカムを持参して
とても暑かったけど
神様がプレゼントしてくれたみたいに
浜辺には人がいなくて、波は静かで
(確か9月の初めだったと思います)
波打ち際まで小さい魚が泳いでいて、捕まえようとしたり・・
楽しかったな~
冬には北関東でも10cmくらい雪が積もった時
孫たちのために小さいけど「かまくら(※定員1名、子供限定)」
を作ってやった映像とか
朝から「雪見酒~」とか言ってお酒飲んでいる
映像とか
初詣に行って、娘(当時3歳)を
肩車している姿とか
私は娘が1歳の時に離婚したので
亡父が娘の「父親代わり」でもありました。
何回も何回も見たから
テープの悲しい宿命で
画面のど真ん中に乱れが入ってしまいましたが
声はちゃんと残っています^^
父が亡くなってからも
娘の保育園の演技会や卒園式
小学校の運動会、卒業式にと大活躍でした。
ハンディカムさん、いままでありがとう!
しかし、義兄さんって
こういう優しいところがあるんですよね~。
去年のXマスの時は
自分の長女にiPod nanoをプレゼントするのに
うちの娘にも同じものを色違いで
プレゼントしてくれたり・・・
(姉の長女とうちの娘は2学年違いですが
姉妹みたいな仲です)
だから
義兄さんが最近メタボ気味だというので
ここぞとばかりに「玄米に切り替えるべき!」と
義兄さんの為に力説していたら
「その話、長い?」といわれ
カチン!!・・・ときましたが
許します。
姉がまだ抗がん剤の最中だというのに
「早く仕事を始めろ」とか「正社員じゃなきゃ駄目」とか
姉にプレッシャーをかけて
義兄さんの事を
「おぬしは金の亡者か?!」とか「そこに愛はあるのか?!」とか
心の中で多々叫んだけど
なかったことにします。
義兄さん、ありがとう・・・
2010.07.28 (Wed)
桃がおいしい季節になると
2度目に入院した時は
ガンによる腸閉塞のために
もう食事することが出来ず
医師も家族もなすすべもなく
ただ痛みだけはとってあげて欲しい
それだけでした。
モルヒネでうとうとする
父。
そんな父が桃のしぼり汁を
ほんの少しだけだったけど
おいしそうに飲んだっけ
スプーン1杯も飲めなかったけど
なので、桃が店頭に並びだすと
「あの夏」を思い出すんです。
2010.07.23 (Fri)
天国の父
S状結腸ガンで、ガンが見付かった時は
既に末期でした。
父の手術中に母が医師から呼ばれ
腹膜の裏に無数に散らばったガンを見せられ
「余命1年です」と伝えられました。
術後、母と私は父の切り取った病巣を見せて
いただきましたが
数珠のようになったリンパ節と
殆どガンがS状結腸を塞いでしまって
状態でした。
いずれ再入院になるけれど、思い出たくさん
作ろうと私たち家族は必死でした。
父には「余命1年」の宣告は内緒にしていましたが
きっと気づいていただろうな・・・
私も人生を謳歌して
いずれは天国へ(もしかしたら地獄かも??)
行った時、
「あの時は内緒にしていてごめんね、おと~さん」
と言いたいです。